2010-03-01

アートとデザインの関係

自分が直接伝えるのではなく、
相手との間にもう一人「代弁者」がいてくれたほうが
よく伝わる、という場面って結構あります。

例えばギャラリー。

単なる趣味で絵を描いてて、それを自分で売っている人がいるとします。
たぶん・・買わないですよね。
興味を持つ人すら少ないかもしれない。

でもその同じ絵がギャラリーに飾られていたら、
今度はそれに目をやる人も、買う人も増えるはずです。
何かの賞を取った、というのでも良いですね。

この差は何か。

それは、「美しいとされている」かどうかの違いだと思います。

それは、少なくともギャラリストに「選ばれた上での」作品なのだから、きっとこれは「美しいと思っても間違いない」のだろう。
そういう安心感がお客さんの中にあるはずです。

だいたい、「美しいのかどうか?」を誰にも頼らずに自分で定義づけるのって実は非常に大変なことなんですよ。出来ないと言って良い。
普通出来るのは、「美しいとされているものに、近いか、遠いか」という判断くらいです。

アーティストは新たな美を作り出します。
でも、アーティストが作った物全てが「社会的に美しい」わけではありません。

その時代その時代で「美しいとされた」ものが生き残り、磨かれ、
それが「社会的に美しい」とされ、徐々に定義づけられるんでしょう。

それらの上に、「これいいね」とか「これあんまり良くないね」という、普通の美的判断があるのであって、失礼ではありますが決してお客さんが心の底から、自分の判断で「美しい!」と断定しているのでは無い。それが普通だと思います。

それは僕らデザイナーだってもちろんそうなんです。

デザイナーは、お客さんに買っていただいてナンボの商売なので、
「お客さんが美しいと考える」ことを第1に考えます。

それはつまり「社会的に美しいとされていること」を
引っ張り出してきて形にしているとも言えるんです。

自分だけが美しいと思っていても、お客さんがそう感じるかどうかは分からない。
お客さんが美しいと感じてくれなければ、モノは売れない。
モノが売れなければ、デザイナーの存在が成り立たない。
だから、僕らデザイナーは自然と「現代社会における美の定義」の上にたってモノを作らなければならないわけです。

その点、アーティストはそうじゃない。

まだ見ぬ「新たな美」を求めて、真っ暗闇の中を掘り進む開拓者。社会的な美、お客さんと簡単に共有出来る美になど目もくれず新たな「美」の定義を求める人。それが、アーティストなんだと思います。

アーティストが新しい「美」を発掘する。
取捨選択を経て、それらのうちいくつかが新しい「社会的な美」として定義づけられる。
その「社会的な美」を使い、社会にむけてデザイナーがモノを発信していく。

もちろんアーティストとデザイナーの境界はあいまいで、
デザイナーっぽいアーティストもいれば、
アーティストっぽいデザイナーもいますが、

とりあえず最近、アートとデザインの関係をそんなふうに思っています。


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