2010-03-30

井の頭動物図鑑(2)

前にも紹介したかもしれないんですが、
こちら、オナガガモ。

夏の間、井の頭池にいるのはほとんどカルガモなんですが、
冬になるとこのオナガガモがどこからかやってくるようです。

しかもカルガモより強いのか、池のほうはこいつらと、キンクロハジロ、ハシビロガモ、オオバンなど新顔が占領してしまって、カルガモは小川のほうに追いやられてしまっています。

さてこのオナガガモ、かなり人懐っこいのか気が強いのか、陸に上がって人間のところまで寄ってきます。(カルガモはあんまりそういうことはないかもしれませんね)

この写真もかなり寄りで撮らせてもらいました。笑

春になって見かけなくなっちゃったので、どこかに帰ったんでしょうかね。
また来年!

2010-03-29

2012みました

遅ればせながら映画「2012」をみました。

すごいですねこれぁ。
世界の破滅に、どうしようもなくどうにもならない感じと、
そこからほんの紙一重でなんとか行きのびる主人公たち。
DVDで見てても、手に汗にぎる感じでしたが、
映画館でみたらもっとすごかっただろうな〜

そういう映像部分に関してはもう言わずもがななんですが、
印象に残ったのは(ディテールは詳しく言いませんが)
「さすが中国!」というセリフ。
中国はアメリカにとって今そういう位置にいるんだなと。

この時代、日本は日本として何ができるんだろうか。
意外と、そんなことも考えさせられました。



2010-03-28

パンクな魚のアレ


こないだ食べたメバルから、
こんな骨が出てきました。
エラのところですね。

ファッションとして身につけることはあっても、こういう凶暴なアイテムが、間違っても僕ら自身の体から直接生えてくるということはないわけで。(思えば人間の体と言うのはなんてつるっとしているんでしょうか)

すごいぞメバル。

2010-03-27

井の頭動物図鑑(1)

公園の動物達から、近所の猫まで、
結構いろいろ動物を見かけるので、
気が向いたときにちょろちょろ紹介してみようかと。


今回は近所の猫。
僕らは「シオ」ちゃんと呼んでいますが、
ノラなのでいろいろな名前があるようです。
要するにみんな好き勝手な名前をつけてるんですね。

シオちゃんの他に、
タレちゃん、つくねちゃん、シイタケちゃんがいるんですが
なかなか見かけず、写真に撮れていないので、
そのコらはまたいつか。

このシオちゃん、
基本は触ろうとすると逃げるんですが、
お腹がすいていると(?)ものすごくいやいやながら、
ちょっとだけ触らせてくれます。

近所の人にたまに餌をもらっているからか、
「いやだけど媚を売った方が・・うう・・」という葛藤を
その態度から感じることができます。笑

寒い日はご覧のようにランプの上に。
ちょっとニヤけた顔の、カワイイヤツです。

2010-03-26

カルガモ出張中

昨日の写真ですが。
冬の間オナガガモの勢いにおされてか、井の頭池でなく神田川のほうにいたカルガモ達ですが、また池に戻ってきています。(オナガガモはどこぞに去ってしまったようで)

この写真のベンチは池から10mくらいの距離はあるんですが、2人連れ立って徒歩で出張してきてました。雨で落ちた何かの実をたべているのか?しばらく散策して、また徒歩で帰っていきました。

井の頭池には結構カルガモいるので、春に雛が見れたらステキだな〜なんて期待しています。

***

2日間雨が降り続いて寒かったのもあるんでしょうが、桜の開花が全然進んでません。そういえば毎年「今週末か!?」と期待を持たせつつ、なんだかんだで満開は来週末でした、という繰り返しのような。

2010-03-25

素人寿司

先日も同じようなことを書きましたが、
自分の中の常識というのはおそろしいもので。

先日、晩ごはんに手巻き寿司をしたんですが、
その時にね、ふと、ふざけて。
そう、自分の中では
「まさか私がやるようなことではないが、ま、余興的に」
というような思いで、にぎり寿司を作ってみたんです。
シャリの上にネタが乗ってる、アレね。

もちろんもとより本気じゃないし、ネタも手巻き寿司用なので見た目は全然お店のお寿司およばないんですが、食べてみると・・

う、ウマっ!!!

寿司の味がします!当たり前なんですが・・
こ、こんなことが・・・!!
頭の中でガラガラガラと何か崩れる音がしたくらいびっくりしました。

こんなことでびっくりする方がおかしいのかもしれないんですが、
今まで僕「寿司とは職人が作るもの」と強烈に思い込んでいて、今までの人生で一度も寿司をにぎろうとなんて思わなかったんですよ。
(でも結構料理好きなんですよ僕!)

だから「今日は寿司が食いたい!」という時は、食べにいくか、買ってくるか。絶対に絶対に「今日は寿司"握ろう"」なんて思わなかったんです。

やったらできるんやな〜という以上に、できないと強烈に思い込んでいた自分にびっくりした、ある日の夜でした。

そう考えると、他にもありそうな気がします。
大人になったらなったで、新鮮な発見はあるもんですね。

***

昨日から雨が降り続いていて寒いです。
井の頭公園の桜はちょっと咲いたまま一時停止中。

2010-03-24

手作り!

井の頭公園には、周りをぐるっとかこむ柵があります。
一見木のようですが、コンクリート製。

ちゃんと枝を切り落としたあとがあったり、場合によっては皮が剥げた様子になってたりとか結構芸が細かいんですが、でもきっと型で作ったのを繋ぎ合わせたものだろうな、と思っていたら・・こないだ職人さんが手でぺたぺた作ってるのを目撃!なんとこれ、手作りなんです!!


残念ながら作っているところの写真はないんですが、いや衝撃でした。

大人になるにつれ、初めて見るようなものでも「きっとこうなんだろう」という予測がはたらくようになるもんですが、いやこれ、気をつけないと大事なことを見逃す原因にもなりますね。反省反省。

2010-03-23

まだ見ぬ絶景

「絶景」といわれるものってあるじゃないですか。

例えばほら、グランドキャニオンとか。
鍾乳洞とかでも良いし、砂漠でも良い。

それらってだいたい、「何百万年もの月日をかけてできた」というものですよね。

永い年月の上に「今」それらは絶景となっているんですが、地球上のどこかには、そうなる途上の、現在進行中のものだってあっても良いはずです。

例えば今はまだただの河だけど、これが百万年後には・・!とか。

どういうものが今後絶景になりうるかって、今ある絶景を解析したり逆算したりでどうにかしたらわかりそうなもんですから、その現在の姿を写真にとって、タイムカプセルで百万年後に残すとか、感謝されそうな気がします。

ま、なんちゅーこたぁない話ですが。

***

井の頭公園の桜、ちょっと先走った奴らが咲き始めてます。

2010-03-20

取捨選択

今「スゴく良い」とされてるものってあるじゃないですか。
iPhoneとか、Twitterとか、もっと大きく括れば大型テレビとかパソコンとか車とか飛行機とか。

それらはすごい発明品で、「だからこそ」確固とした地位を築いたんだろう、と考えてしまいがちなんですが、実は最初からそのモノがポンと生まれたわけではありません。

それらの下には、前時代に「良いとされていたもの」の屍が累々と積み上がっていて、今あるものはその上に築かれているんですよね。

iPhoneだって、30年前にいきなりあれを発明することはできなかったハズです(まあ、SFの世界にはあったかもしれませんが、技術的な問題もありますよね)

何か新しいものが発明されると、それを横展開した派生商品が生まれてきます。
それがある程度広まり、取捨選択されることでだんだん用途が決まってくる(狭まってくる)とコストが下がり、爆発的に広がって「文化」として定着します。
しばらくそれを当たり前のように使ううちに「あれ?これ、もっと良くなるんじゃないか?」と今度はそれを土台にした新しい発明が生まれる。

生命の進化と同じように、モノもそういう
「新種」→「取捨選択」→「定着」→「新種」→「取捨選択」…
の繰り返しなんですよね。

大事な事は「歩みを止めない」ということ。
良いモノを生み出しても、決してそれに甘んじず、
つねに先へ先へ進む気持ちを常に持つ事、なんじゃないかな〜。

僕はモノを作ることで「世の中をステキにする」ことをモットーにしてはいるものの、実際はそれはもう毎日アホみたいに新しいものを生み出しては捨て、生み出しては捨て、の繰り返し。笑

これで良いのか、と思うこともしばしばですが、
きっと、これで良いのだ。




2010-03-17

若芽


公園に若芽がちらほらと出てきています。
桜のつぼみももうパンッパンですよ!

なんでしょう、無性にウキウキするこの気持ちは。

植物なしでは生きていけない。
その思いが、深く遺伝子に刻まれてるのかもしれませんね。

テレビの無い生活になってもうすぐ1年。
エンターテインメントの軸足が以前とぐっと変わった自分を感じます。
最近の楽しみは、公園の散歩とお風呂。江戸か!笑

ともかく今、じわじわと緑っぽくなってきている公園を散歩するのが楽しくてしかたありません。春どんどん来い!

2010-03-15

30年変わらぬ

ウチの近所に「30年変わらない味」を売りにしているラーメンやさんがあります。
実際素朴で美味しくて、ちょくちょく行くんですが、
話の中心はそこではなくて、「30年変わらない」の部分。

まあ、ひねくれた考えなんですが、
「30年変わってない」というのは、どうやって証明すんのかなと。

もちろん要するに「レシピが同じ」ということなんでしょうが、
でも、たとえば去年ここに引っ越してきたような僕には、30年前の味と比べようがないわけです。

で、思ったんですが
ビジュアルや音は肉体とは別のところに保存できるのに(写真、CDなどね)、味って出来ないですね。カップラーメンで「あのお店の味を再現」てのはありますが、少なくとも「デジタル化」は出来ていない。

カメラなんかはすっかりデジタル全盛ですが、つい10年前は「アナログの表現力にはデジタルはかなわない」というのが通説でしたよね。

味や臭いなんかも、そのうちデータ化できるようになるんでしょうか?
もちろんその「再生」もセットでね。

例えば映画の興奮をDVDで何度も味わえるように、
ライブの興奮をCDで何度も味わえるように、
将来、「美味しさの興奮」を家庭で、デスクに座りながら何度も味わえる、なんてことがもしかしたら出来るようになるのかも??
そ・・そうなったらかなりスゴイことですね。


春が、着実にやってきています。

2010-03-12

竜馬がゆく

遅ればせながらなんですが、
実は今「竜馬がゆく」にハマってます。

きっかけは今年の大河が「龍馬伝」だったから、という単純なもので、最初は軽い気持ちで読みはじめたんですが、

これが、面白い!
面白いどころか、なんと教訓に満ちた本であることか!

竜馬の人生そのものがそうだとも言えるし、司馬遼太郎さんの『竜馬の人生の編集』の成せる技なのかもしれませんが、
彼の行動、時勢の読み方、戦いや交渉、もちろん竜馬以外の志士達のあらゆる行動とその絡み合いが、時代や状況は違えど現代に生きる僕にも通じるところが多々あり、もうザックザクと胸につきささってきます。

僕はビジネス書を読む時、極小のふせんを大事な部分に貼付けながら読んで行くんですが、なんと竜馬がゆくは小説でありながらその状態。笑

今文庫の7巻まで読み終えまして、物語も、竜馬の人生も佳境。
あと1冊。心して読み進めます。




2010-03-11

革命的なブツ

ひょんな事件から思いついたブツがありまして、
取引先と相談しながら実現できそうなところまでこぎつけたんですが、
そのサンプルが、今日届きました。

こ・・これは・・スゴイ・・!!
ブログに書いといてなんなんですけど、
これは言えません。すみません。

いやーでも、怪我の功名なんて申しますが、本当にモノを作っていると、トラブルと、そのリカバーの繰り返し。その繰り返しのなかで、ふとした弾みで生まれるモノって結構あるんですよね。
今回のはその中でも結構な大物です。

まだ荒削りな段階ですが、
ゴールは見えてる感じ。

6月くらいにデビューすることを目標に
ちとこれ、作っていきたいと思います。

結局内容のない話で申し訳ないんですが、
とりあえず気持ちを吐き出させていただきました。

あ、えーっと桜が、ぷくっとしてきてますよ。






2010-03-10

ぷくぷくと


雪が降ったり、かとおもえば20℃を超えたりと
なかなか忙しい今日このごろ。

昨日も吉祥寺は雪でして、
それはもう大変な思いで外出してました。

春はまだまだ遠いのか?と心配にもなりましたが、
公園をよく見ると、いろんなところで春の息吹が。

どういうしくみか、みんなやっぱり春を感じてるんですね。

井の頭に引っ越してきたのは去年の初夏なので、
春は初めてなんですよ。
もう少し暖かくなるのがたのしみだなあ〜〜

2010-03-08

出動!ハトたち


ハト型ふせん「pigeon post」
数がそろいまして、昨日大量に出荷しました!
皆様お待たせです〜!

現在文具店さんのほうでも置いていただいていますが、もうしばらくすると各地のインテリアショップなんかでも見ていただけるのではないかと。

カワイイやつらですので、
みなさま宜しくお願いいたします〜!

(ちなみに写真は展示サンプルです。)

2010-03-06

逆転する時代

不況だそうです。
最近よく耳にしますね。

浮いたり沈んだり、波はあるもので、
「いやあ、今月少ないだけだろう」と、
「今は不況だけど、そのうちまた良くなるだろう」と、
そう思いたいのはやまやまなんですが、

リーマンショックの時みたいに、
1ドル100円が底だろう、なんて皆が思っていた数字を大きく割り込んで下落することだってあるわけで、
実は「普通これくらい」なんてのは、幻想でしかない。

怖いことを言うようですが、もしかすると・・「下がり続けて元に戻らない」ことだってあり得るんではないかと。

今後は人口が減って行く方向になるでしょう。
そうなると、人口の増加を前提にしてきた今までのやりかたというのが、どんどん通用しなくなってくると思うんです。

前にも書いた気がしますが、
そうなった時に、今までのやりかたというのが全く通じなくなる可能性もあるんですよね。

・人口が減る
・お金の流動性も低くなる
・モノが余る
・高齢者の割合の増加
・食料は外国から買わなければいけない
・革新的な産業は今のところ無い

どう考えても、今までのイケイケの日本とは様子が違いますよね。

こういう時代にどう生きて行くべきか。
企業をひっぱる人だけでなく、「ボーナスが少なかった」と嘆くいちサラリーマンも、世に出る前の大学生も、みんなみんなが考えないといけないところに来てるんじゃないかと思います。

2010-03-01

アートとデザインの関係

自分が直接伝えるのではなく、
相手との間にもう一人「代弁者」がいてくれたほうが
よく伝わる、という場面って結構あります。

例えばギャラリー。

単なる趣味で絵を描いてて、それを自分で売っている人がいるとします。
たぶん・・買わないですよね。
興味を持つ人すら少ないかもしれない。

でもその同じ絵がギャラリーに飾られていたら、
今度はそれに目をやる人も、買う人も増えるはずです。
何かの賞を取った、というのでも良いですね。

この差は何か。

それは、「美しいとされている」かどうかの違いだと思います。

それは、少なくともギャラリストに「選ばれた上での」作品なのだから、きっとこれは「美しいと思っても間違いない」のだろう。
そういう安心感がお客さんの中にあるはずです。

だいたい、「美しいのかどうか?」を誰にも頼らずに自分で定義づけるのって実は非常に大変なことなんですよ。出来ないと言って良い。
普通出来るのは、「美しいとされているものに、近いか、遠いか」という判断くらいです。

アーティストは新たな美を作り出します。
でも、アーティストが作った物全てが「社会的に美しい」わけではありません。

その時代その時代で「美しいとされた」ものが生き残り、磨かれ、
それが「社会的に美しい」とされ、徐々に定義づけられるんでしょう。

それらの上に、「これいいね」とか「これあんまり良くないね」という、普通の美的判断があるのであって、失礼ではありますが決してお客さんが心の底から、自分の判断で「美しい!」と断定しているのでは無い。それが普通だと思います。

それは僕らデザイナーだってもちろんそうなんです。

デザイナーは、お客さんに買っていただいてナンボの商売なので、
「お客さんが美しいと考える」ことを第1に考えます。

それはつまり「社会的に美しいとされていること」を
引っ張り出してきて形にしているとも言えるんです。

自分だけが美しいと思っていても、お客さんがそう感じるかどうかは分からない。
お客さんが美しいと感じてくれなければ、モノは売れない。
モノが売れなければ、デザイナーの存在が成り立たない。
だから、僕らデザイナーは自然と「現代社会における美の定義」の上にたってモノを作らなければならないわけです。

その点、アーティストはそうじゃない。

まだ見ぬ「新たな美」を求めて、真っ暗闇の中を掘り進む開拓者。社会的な美、お客さんと簡単に共有出来る美になど目もくれず新たな「美」の定義を求める人。それが、アーティストなんだと思います。

アーティストが新しい「美」を発掘する。
取捨選択を経て、それらのうちいくつかが新しい「社会的な美」として定義づけられる。
その「社会的な美」を使い、社会にむけてデザイナーがモノを発信していく。

もちろんアーティストとデザイナーの境界はあいまいで、
デザイナーっぽいアーティストもいれば、
アーティストっぽいデザイナーもいますが、

とりあえず最近、アートとデザインの関係をそんなふうに思っています。