2009-08-20

偏りか混沌かtwitterか

2ヶ月前の引っ越しの時に、
思い切ってテレビを捨ててしまいました。

それ以来、結局新しいのを買わずにいるんですが、これが結構大丈夫。

テレビって結構無駄な時間を食うじゃないですか。
ネタを引っ張ったままCMに入って、なんだかんだで1時間釘付けにされる。
CMを見ればいろいろ買いたくなるし、
NHKだって集金にやってくる。

そういうのをもう思い切ってナシにしたらどうか!?と思い切ったら、
結構清々しい気分なんですよ。

現代は情報の洪水だなんて言いますが、
テレビが原因である部分が相当あると思います。

なのでそうやって受動的に情報を浴びるんじゃなくて、
ネットで、自分が欲しい情報を欲しい時に取りに行く。
これって結構新しい生活で、気に入っているんですが、

でもそれでも、ネットのニュースにも「編集」が入っているので、
まだ自分が思う純粋な情報取得のありかたではないな〜と思ったりもします。

テレビでも新聞でもラジオでもネットでも、
世の中にあまたある情報を「編集」、つまり順位付けして出しています。
新聞の一面に何を持ってくるか、というアレですね。

その順番によって僕らは「これは重要な問題だ」とか「大事件だ」とか思うわけですよね。

その作業が、何を基準に選ばれているか。
突き詰めれば「そのメディアが売れるか(視聴率が上がるを含む)どうか」ということになりますよね。

みんなが欲しいであろう情報。それは、
メディアがあおり立てて「次はどうなるんだ?」と感心が寄せられている出来事、ということに結局なってしまいます。

押尾学や酒井法子の事件のほうが、日本のこれからを語る文章よりも前に来てしまう。

これはネットであれ、そこに利益の仕組みがあり、より売れるための編集がなされていれば同じことで、
結局偏りがあり、「自分が本当に欲しい」「自分から取りに行っている」情報かというと正確にはそうではない。

そういう意味で、情報そのものに対して利益が絡まないtwitterなんかは、情報の新しい形なんだと思います。
たとえば「わ、地震だ」なんてつぶやきに、儲けようという気持ちは全くない。でもそれは立派にニュースとしての役割を果たしている。

ただし問題もあって、様々な情報を集めようとすると、手広くなりすぎて漏らす数も相当になってしまう。
偏りの逆をいくと、混沌としすぎてしまう。

この星のようにちらばる情報を、他人でなく自分の意図で「編集」して情報を取得できるようになれば、これは新しいメディアになりうる気がしますね。

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