2010-02-24

はやおき

今日は、早起きしてみました。



いつもと時間が違うと、明るさも影の方向もすれ違う人の様子も違って、なんだかちょっと違う街のようです。

幼稚園児から会社員まで、みんなだいたい決まった時間に行動しているもので、それぞれ「街と言うのはこういうものだ」というイメージを持っていると思うんですが、

違う時間帯に生きている人同士は、実は同じ街で働いていても、「こういう街だ」というイメージは異なっているのかも?なんて思うとちょっと面白いですね。

2010-02-23

あたたか

今日はあたたかでしたね。

関係ないですが、
井の頭公園のカモにどれだけ近づけるかという遊び(?)が流行ってまして、今日はかなり近い所までいけました。笑


もうほとんど触れる距離なんですが、手を伸ばすと・・さささっ!っと逃げちゃうんですよね。まあでも濡れてるので(笑)本気で触る気もないんですが。

毎日池で遊んでいるようなブログになってますが、いやいや、ちゃんと仕事もしておりますよ。

次のタイミングは6月。そこに向けてまた新作の構想をうにゃうにゃうにゃと・・カモの件はそう、現実逃避です。

2010-02-19

コイたち

昨日の続きですが、
井戸の反対側からのショット。
コイたちが集まっています。

池の水温に比べて暖かい、というだけで、
やっぱり水は冷たいんでしょうね。
動きはのっろ〜〜としとります。

黒いやつは分かりませんが、
赤いやつらはだいたい同じメンバー。

あれ?でも今日は白いやつが混じってて
ゴールドのやつがいませんな。

とか、
毎日ゆるく観察してます。

2010-02-18

湯気がたつほどに

昨日東京はまた雪がふりました。

どうりで夜寒いと思った。
井の頭公園も木々が白くなっていましたが、
なんと井戸(井の頭池の源流ね。くみ上げらしいですが)から湯気!


井戸水は温度が一定である、という話を聞いたことがありますんで、池の水温がすごく低くなって、井戸の水温のほうが相対的に高くなったということなんでしょうな。

ここから池に流れ込んでいく部分にはコイ達がたくさん集まってました。やっぱ暖かいんでしょうね。

2010-02-17

自分の生み出す価値は

朝食をたべながらふと。

ただのサンドイッチにも、
小麦、タマゴ、レタス、トマト、マヨネーズ、ケチャップ・・
様々なものが使われています。

これらのもののうち、1つとして
「自分で作ったもの」はありません。
これらは「お金で買ったもの」です。

お金というのは結構特別なものと見られがちで、ともすればそれを手に入れることを目的にしてしまうようなこともあるわけですが、

実はお金ってのは、物々交換の代わりの紙切れであり、それ自体にはモノとしての価値があるわけではありません。(あるのは『信用』なんですよね)

もともとは物物交換。
お金が媒介しようがなんだろうが、本質的には「価値」と「価値」のやりとりなわけです。
例えばある量の小麦を手に入れるためには、
その分、こちらからもそれと等価の何かを渡さなければいけません。

サンドを食べながら、その美味しさに感謝しながら、ああ、この美味しさと同じだけの価値を、僕も生み出していかねばと、決意を新たにした朝でした。

2010-02-15

時代のはざま

吉祥寺の近くに住んでいますが、
最近になって、いろいろなものが吉祥寺から無くなっていきます。

伊勢丹は閉店するし、ユザワヤも無くなっちゃうし(復活の予定つきですが)。ロンロンもアトレになったりとか。

お店などの新陳代謝が激しい事が東京の東京らしさ、だとはいえ、
やはりこういう大きいものが無くなるとなると結構不安になります。

デパートみたいな大きな施設って、船で言ったら大型客船みたいなもんだと思うんですよ。
小舟じゃ転覆しちゃうような波にもびくともしない。
そのハズ、だった巨大な客船が、今まさに転覆&沈没しようとしてるんですよね。

これを
「不況という大波」のせい、と言うのは簡単で、そしてその言葉の裏側にはきっと「いつかおさまり、元通りになるだろう」という期待感もあります。

でもその期待も虚しく、その波がおさまった時には新しい時代が始まっていた、ということもあり得るかもしれません。
恐竜の時代が隕石の落下という大きな波に押し流されるように終わってしまったように。

つまり今はもしかすると単に「大変な時期」なんじゃなくて、
次の時代への転換期、はざまにあたるんじゃないかと。

そんな今にあって、もちろん自分も前時代的なモノづくりをしているわけですが、ちゃんと次の時代も見据えた上で「今」作っていかないといけないんだよなと。

単にブームとかトレンドとかでなく、もっと大きな変化。それってなんだろう?うーんうーん。
そんなことを思いつつ、夏にむけてまた紙に埋もれております。

2010-02-14

状況のご先祖様

自分が今いる状況が、
何でこうなったんだったっけ?
何で今このつながりがあるんだったっけ?と遡って行くと、
結構シンプルなところを通過することがあります。
「要するにあんときあれしたからか・・!」

さらに、その要素が、ものすごーく細い線だったりすることもあります。
「あの時偶然あの人に会ったから」
「行くはずじゃなかったけど、丁度ヒマで・・」

完全に大もとまでたどると、それは
「この世に生まれたこと」になるので、
それは別途感謝するとしまして、

なんというか、
自分が今いる状況の、そのご先祖様に、そんなに細い線でつながっているのであれば、それに対してすごく感謝すると共に、

逆に今後訪れるチャンスに対してもちゃんと真剣に向き合っていかないと、細〜〜い、でも素晴らしい可能性を秘めたチャンスを見逃しちゃうよな〜と。

これからの自分に対しての戒めでした。

2010-02-11

美しいカーブ

美しいカーブを描く道ってのは良いもんですね。

逆に、まっすぐな道で何のテクスチャもなければ、味気なく感じます。

まっすぐな道で、しかもそれが続きすぎると、人間の脳が飽きて眠ってしまったり、事故をおこしてしまうため、高速道路なんかは、わざとカーブさせて作っているとか。

この「味気ない、飽きる」かどうか、と「美しい」かどうかってのが、もしかすると関連があるのか?なんて気になってきました。

カーブを描く道の向こうは、見えないわけです。
見えないと、人間の脳はかってに想像を廻らせてしまいますね。
この辺の「遊び」が、脳に良い刺激になって、
「刺激になる→自分にとって良い物→これは美しい」
なんてなったりするのかも、しれません。

もちろん、美しさに度合いがあるように、
想像を廻らせることが出来るかどうかの加減もあるわけで、
その辺が道づくりや庭づくりのノウハウになったりもするんでしょう。
(いくら刺激が多くても、こってりしすぎてたらそれ自体を拒絶しちゃいますね)

長らく「(風景が)美しい」ってなんなんだろう?と思ってきたんですが、「脳みそが働きすぎている」ことが特徴である動物=人間にとって、その働きすぎた脳が「飽きずにいる」ことは、非常に重要なことなハズなので、そのために(言葉でいうところの)「美しい」という気持ちを持っている、というのは非常に重要だと思います。

美しくない空間に長時間いる事は、人間にとって堪え難い事なので、つまり、美しい空間に対する欲求を持っているということだと思うのです。

で、これをプロダクトにどう応用するかというと、
ただ感性によって「美しい」ものをつくるのではなく、それを手に取った人の脳に、どれだけ「程よい刺激を生み出す」事ができるか。そういうところを客観的に考えていくと良いのかなと。

僕の作る物は「キャラモノ」が多いんですが、
キャラクターってのも、結構入り口からしてそういうものですよね。

ちょっと今後のヒントになりそうな。

2010-02-08

歩くという移動手段


今日はちょっと思い立って、
井の頭から渋谷まで、妻も道連れに12キロくらい?歩いてみました。

電車でいうと190円の距離なんですが、
トータル3時間。うはは

でもね、
普段「移動のため」にそんなには歩かないじゃないですか。
交通機関を使うのが普通ですよね。

それをこう、足で歩いたことで、
自分の脳内でリアルに井の頭と渋谷が地続きになったというか、
妙な感慨深さがありましたね。

そもそもやろうと思ったきっかけは、「龍馬伝」を見てて
四国から東京まで「徒歩」で移動してたことなんですよ。

それと、ちょっとデザイン上、江戸を研究してたのと相まって、
ちょっと体で江戸気分を味わってみようじゃないかと。

現代では「道」はほとんど車のためのものなので
それほど道自体に情緒はないんですが、
でもなんかホント、楽しかったです。

もし後々時間がまとめてとれたら、
本気で京都まで歩いてみようかなと、思うちょいます。
宿代が大きく新幹線代を超えそうですがww

2010-02-07

デザイン丸裸

前の会社で「パイプロイド」を立ち上げてから、
twelvetoneとして独立した今に至るまで、
「モノを売って生きる」ビジネスを組み立てることに力を注いできました。

それは簡単に言うと

・デザイン(企画)
・製造
・流通(販売)

この3つで成り立っているわけですが、
いままでの「売れない時代」のなんと長かったことか。
その時々で、「売れない言い訳」をしてきたわけですが、

初期の頃は
「まだそんなに生産できないし・・」を言い訳にしてましたね。

そして生産が出来るようになると、今度は
「お店がまだそれほど増えてない」という事を言い訳に。

そして、その2つが滞りなくできるようになった今、
売れるか売れないかの理由は「デザインそのもの」に
かかってきています。丸裸です。

売れる売れないは、デザインのせい。
もう言い訳はできません!

ここからが本当の勝負。
もちろん自分のなかで自信のあるものしか作りませんが、
それが社会に合うかどうかは、問うてみなければ分かりません。

その予想の精度を高めること。
これを更新し続けることもデザインなのかもしれませんね。

国ってなんなんでしょう

「国」ってなんなんでしょうね。

王さま(もっと小さなリーダーでも良いですが)が
「この国はワシのもの、お前ら人間も動物もワシのもの」
なんて言っている感じだったら、すごく分かりやすい感じなんですが、

現代の「国」は、それとは全然違いますよね。
(もちろん今でも王様のいる国はありますが)

私のものでもある。でも私だけのものではない。
そういうあやふやな物(=国)を運営する「政府」というものがあって、
みんなわりあいそっちのほうを見ながら生活をするわけですけど、

結局政府ってのは、公共的な事業をどうするか、
みんなから集めたお金をどうしよかいな?という機関であって、
国家を治める王様とは、かなり性格が違います。

王様は、自分の所有物である、国の人間を、
本当の意味で「守ろう」と思ったでしょうね。

でも政府がそこまで考えるというのは、
建前上そういうことは言うにしても、あまり考えられないと思います。

そういう意味では、
「会社」のほうが、むしろ王様のいたころの国家に近いのかも。

その、国的なもの(=会社)を、戦いをするわけでもなく、誰でも作る事ができる、というのが、資本主義のすごいところなのかもしれない。

つまり、「自分はこんな身分だから」などという言い訳ができない。
「王様になれたら、こうするのに」は、無い。なれちゃう。
だから否応無く王様としての力量を、測られてしまう。
逆に言うと、自動的に努力を強いられることになる。
だから、現代社会ってのはすごく伸びが大きいのかもしれない。

でもその先どうなるか、
じゃあ「全員社長」ってなったら・・
社会をもういっぺん見直すときがくるのかもしれませんね。
いや、もう来てんのかな?

2010-02-05

ギフトショー終了

今日でギフトショーが終わりですね。

この期間に合わせた問屋さんの展示会も終了しました。
実際にその場にたつわけではないんですが、
緊張し通しの4日間でした・・

モノづくりをする者にとって、展示会が晴れ舞台。
新作を投入し、その反応を見る、一番の機会。

まずアイデアを練り、デザインをし、
それを製造業者さんとああだこうだと形にし、
値段とも相談しながら、だんだんと「商品」に仕上げていく。

ここまででも十分なように聞こえるんですが、
それではまだまだ5合目。

ここまででは、作って自己満足している状態と
なんら変わりません。

実際には、お店に来てくれるお客さんに
お金をいただいて初めて!モノづくりの商売が完成するわけなんですが、
さすがに1人1人に売りあるくわけにはいかないので、
お店のバイヤーさんたちが集まるこういう展示会で、「問う」わけです。

その「問い」の答えは、「発注」という形になって現れてくるわけですが、
これはもうちょい先。

もう、受験生が合格通知を待つような気持ちで、
ファックスを待つんですよ。笑

自分だけが良いと思っていても、その商品が「世の中に受け入れられる」かどうかはわからない。
結局は、問うてみる以外に方法がないんです。

さあ、今回の答えは・・!!

2010-02-02

雪でした。そして新作発表!


いやーついに雪でしたね。

井の頭公園の西園まで行ったら、午前中なのに雪だるまがごろごろ!

しかもなんですか、みなさん創意工夫が素晴らしい。良い環境だと、良い創作が生まれるってことなんでしょうか。感心。

***

本日新作を発表しまして、展示会も始まりました!



pigeon post http://pigeonpost.jp/
ushimitsu mirror http://ushimitsu.jp/


モノづくりをする者にとっては、
素晴らしいデザインができるかどうか、とか
ちゃんと製造出来るかどうかとか、
そういうのは「当たり前に乗り越えるべき壁」であって、

この展示会が、本当の答え合わせなんですよね。
皆さんの反応をいただけてこその、デザイン&モノづくり。

熱いです。そして、恐い。笑

がんばっていこー!