最近、朝仕事を始める前に、大量に届いたスパムメールを消す、というのがちょっとした日課になっています。
フィルターをかけてもこの数。
いい加減それに慣れてきた自分もいるんですが、なんとかならないもんでしょうかね。
こんなに毎日来ても、毎日消しちゃうんだし、広告効果なんてあるんかなあ?なんて思いますが、
やっぱし効果があるからこそ続いているんでしょうね。
メールという、言わばネットの世界ではかなり原始的なツールを使っているわけですが、そこには、無料だし、大量に送る事もできるし、匿名にしようと思えば実は出来るし、などなどいろんな利点があります。
スパムを無くすには、こういうメールを使っての広告を遥かに凌駕する効果的なシステムを考えて、今スパムメールを送っている人が全部そっちに流れるようにしちゃえば良いんですよね。
そうしたら無駄な電力も労力も使わなくて済む。
何かないかなあ。
2009-01-26
天神さん
裏稲荷
2009-01-23
スゲエ
ちょっとした価格のシミュレーションをしたい事があって、「Google Docs」の表計算を使ってみました。
スゲエ!ブラウザ上でここまでできるんですね・・
なんだこりゃあ・・
Googleが自分のところのブラウザを出した意味がわかります。
(いろいろな面倒はともかく、構想としては)パソコンを立ち上げて、ブラウザを開けば、今や様々なことがそこでできるわけで、
要するに個々のアプリケーションを立ち上げるのと同じ効果が、一つの「窓」から可能になるわけですから、非常にスマート。かつ、その窓を自分が握る事ができれば・・!!
OSを握って大成功したマイクロソフトのように、何かそこでまた握れるんじゃないか、と考えてるんでしょうね。
もちろんアプリとしての質も大事になってくるので、そのへんはまたこれから進化していくんでしょうけど。
真っ白だったネット世界というフロンティアに人が充満して、その次の段階としてそれが寄り集まって、おおきなうねりに・・!
500万年後にオスの絶滅とともに人類滅亡?なんて番組がありましたが、そんなこと気にしちゃいないくらい、人類は発展に対して貪欲ですねえ。
スゲエ!ブラウザ上でここまでできるんですね・・
なんだこりゃあ・・
Googleが自分のところのブラウザを出した意味がわかります。
(いろいろな面倒はともかく、構想としては)パソコンを立ち上げて、ブラウザを開けば、今や様々なことがそこでできるわけで、
要するに個々のアプリケーションを立ち上げるのと同じ効果が、一つの「窓」から可能になるわけですから、非常にスマート。かつ、その窓を自分が握る事ができれば・・!!
OSを握って大成功したマイクロソフトのように、何かそこでまた握れるんじゃないか、と考えてるんでしょうね。
もちろんアプリとしての質も大事になってくるので、そのへんはまたこれから進化していくんでしょうけど。
真っ白だったネット世界というフロンティアに人が充満して、その次の段階としてそれが寄り集まって、おおきなうねりに・・!
500万年後にオスの絶滅とともに人類滅亡?なんて番組がありましたが、そんなこと気にしちゃいないくらい、人類は発展に対して貪欲ですねえ。
2009-01-20
小さく、シンプルに
昨日今日と、新しいシリーズのデザインをしています。
今まではロボットモチーフでしたが、
今回は動物。
何個も何個も作るうちに
出来上がったものがどんどん小さく、シンプルになっていきます。
そしてそれに対する周りの反応ももちろん素晴らしい。
「おお!ほんとだ!カモメに見える!」
「よくこれだけのパーツでできるね〜!!」
思うんですが、デザインして行く上でこの
「突き詰める」ことに賞賛が与えられるというのは、
非常に日本的なのかもしれませんね。
資源の少ない日本は、少ない材料でやりくりしないと行けないですから、
自然と、シンプルで無駄の無いデザインを作り上げてきたハズなんです。
地震も頻繁に起こり、家でも何でも「仮」であるというのが実は基本。
だからこそ、「仮である=装飾しない」という物理的な面とともに、
「今」を精神的に大事にする。
その研ぎすまされた精神で、モノをより突き詰める。
装飾的に突き詰めるのではなく、精神的に突き詰めるというか。
何も無いことを、究極の良さとする、という感じ。
僕のプロダクトは海外でも受けが良いのですが、
こういう文化的なものが、作るうちに自然ににじみ出ているんだなと。
きっとそうだと思います。
#写真は、試作の山
今まではロボットモチーフでしたが、
今回は動物。
何個も何個も作るうちに
出来上がったものがどんどん小さく、シンプルになっていきます。
そしてそれに対する周りの反応ももちろん素晴らしい。
「おお!ほんとだ!カモメに見える!」
「よくこれだけのパーツでできるね〜!!」
思うんですが、デザインして行く上でこの
「突き詰める」ことに賞賛が与えられるというのは、
非常に日本的なのかもしれませんね。
資源の少ない日本は、少ない材料でやりくりしないと行けないですから、
自然と、シンプルで無駄の無いデザインを作り上げてきたハズなんです。
地震も頻繁に起こり、家でも何でも「仮」であるというのが実は基本。
だからこそ、「仮である=装飾しない」という物理的な面とともに、
「今」を精神的に大事にする。
その研ぎすまされた精神で、モノをより突き詰める。
装飾的に突き詰めるのではなく、精神的に突き詰めるというか。
何も無いことを、究極の良さとする、という感じ。
僕のプロダクトは海外でも受けが良いのですが、
こういう文化的なものが、作るうちに自然ににじみ出ているんだなと。
きっとそうだと思います。
#写真は、試作の山
2009-01-19
2009-01-16
緊張
緊張するのって、何なんでしょうね。
「心地よい緊張感」とかそういう前向きのじゃなくて、
ガチガチにあがってしまう、アレ。
慣れてくると緊張しなくなるので、
やっぱり「初めてのものに対処する時の、種としての警戒の一種」なんでしょうか。
自分のプロダクトで取材を受けたりすることがたまにあるんですが、
昔は、単に写真とインタビューだけでも緊張していたもんです。
売り込みの営業も、昔は台本まで書いて(笑)、
電話のボタン押すまでめっちゃ時間かかって、
繋がったら繋がったでアワアワなって何言ってるか分からなくなったりと
えらい緊張したもんです。
どっちにしろ勝負はモノの良さなんで、
そのときの「自分自身の様子」なんて関係ないんですけどね。
「頭では思っていても」というアレですな。
自動的に緊張しちゃう。
そして自動的に、いつのまにか緊張しなくなる。
緊張しなくなることに、ちょっと寂しい気持ちを覚えつつ、
その頃の自分を思い出しては、「僕、成長してるよな、うん」と確かめてみたり、です。
「心地よい緊張感」とかそういう前向きのじゃなくて、
ガチガチにあがってしまう、アレ。
慣れてくると緊張しなくなるので、
やっぱり「初めてのものに対処する時の、種としての警戒の一種」なんでしょうか。
自分のプロダクトで取材を受けたりすることがたまにあるんですが、
昔は、単に写真とインタビューだけでも緊張していたもんです。
売り込みの営業も、昔は台本まで書いて(笑)、
電話のボタン押すまでめっちゃ時間かかって、
繋がったら繋がったでアワアワなって何言ってるか分からなくなったりと
えらい緊張したもんです。
どっちにしろ勝負はモノの良さなんで、
そのときの「自分自身の様子」なんて関係ないんですけどね。
「頭では思っていても」というアレですな。
自動的に緊張しちゃう。
そして自動的に、いつのまにか緊張しなくなる。
緊張しなくなることに、ちょっと寂しい気持ちを覚えつつ、
その頃の自分を思い出しては、「僕、成長してるよな、うん」と確かめてみたり、です。
2009-01-14
テレビ
2009-01-12
デザインの罠
母校のデザイン科のルーツだということで、上野伊三郎・リチ展に行ってきました。
「デザインは自己表現ではない」
その事にちゃんと気付くまで苦労したもんですが、その悩みのルーツも、直接的原因ではなくとも、こういう時代のデザインにあるのだ、ということがわかった気がします。
あ、もちろん今回の展覧は非常に興味深かったし、面白かったですよ。
さて、今でこそコンピュータでデザインするのはあたりまえで、それは作り手のコンセプトを形に表す、というデザインの機能には、デザイナーの画風など必要ないからです。
手法を模索して行くと、結果コンピュータでアートを、手書きでデザインを、となることはもちろんあるけれども、少なくともデザインとアートの「入り口」は、いまや割と分かりやすくなっているのかなと。
でもこの時代は、デザイン(図案)であろうが、アートであろうが、全て手書きだったんですよね。
今回の展覧会のように、デザインとして作られたものが、額に入れられ、さも価値の高いもののように展覧されることも、一度ならずあったでしょう。
その時その展覧の評価に対し、そのデザイナーが「自分の手仕事を褒められている」と勘違いしてしまうことは、容易に想像できます。
でも、デザインはデザイナーのためのものではありません。
褒められるべきは、そのデザインによってユーザーの生活がどれくらい豊かなものになったかどうかであり、その図案がアート的にどう素晴らしいかではありません。
デザイナー本人はなんとか踏みとどまったとしても、その周りにいる人、弟子たちはどうでしょう。
「自分もいつかあんな風に評価をうけたい」そんな邪念が、そこに生まれてしまうことは、止められないかもしれない。
そしてその偏ったデザイン観は、時代の流れの速さよりもゆっくりとしたスピードで、次世代に伝えられていってしまう。言ってしまえば、偏ったデザイン観をもった教授が教鞭をとっている期間が長ければ長いほど、その学校の時間は昔のまま止まっており、現代とはギャップが広がってしまうことになる。
昔のデザイン観自体を否定するわけではありません。
大昔、科学と哲学が同じものだったように、昔はデザインもアートも、同じ地平に並んでいたに違いありません。その間を自由に行き来し、今に通じる形を作って来たのでしょう。
ただ、そのデザイン観が今に通じるかというと、そうではないと言う事です。
自分の中にある(つまり、そう教育を受けた)デザイン観と、現実とのギャップにつぶれていくデザイナーもたくさんいます。
僕の同級生で今でもデザイナーをやっている者の、なんと少ないことか!
くりかえしますが、
「デザインは自己表現ではない」
そこにきちんと気づいた事、一種の悟りとも言うべきものを得た事が、もしかすると僕の人生の中で一番大きな出来事なのかもしれないですね。
2009-01-11
定額給付金
2009-01-10
不況だからこそ
まだ実感はないんですが、世の中は不況だそうです。
物を作り、それを売って儲けるという職業柄、物が売れなくなってくればもちろん打撃になるわけですが、だからといって何もしないわけにもいきません。
ともかく、不況だろうがなんだろうが、こういう世の中の状況を機会ととらえて、前向きに進まなければ。
不況だと、ものが売れなくなります。お店をやっている人がまずそれを一番に感じるんだと思いますが、そこで、「不況だからしょうがないね」と、何も対策を打ち出さないお店は無いと思います。
むしろその状況を打破するためにも、お店のラインナップをより魅力的にしていくことを考えるはずです。
ということは、普段はなかなかの狭き門である、「新規の売り込み」のチャンスが、実はひろがっているのではないかと!
と考えれば、このチャンスを活かすべくの行動は「売り込み」ということに。
ということで、この一月は営業の月にしていこうと思っています。
前向き前向き!
2009-01-09
スパイラル
僕の仕事はインテリアグッズのデザインなんですが、
いかんせん小さいプロジェクトなもので、
製造から営業まで、ほとんど自分でやらなければいけません。
お店との付き合いともほとんどない状態から、
販路開拓していくことになりはや3年。
気づいてきたことがあります。
それはお客さんとして行っても「良いお店」は
バイヤーさんの対応も良い、ということ。
鼻くそみたいにあしらってくるイケイケのショップもありますが、
やはり伸びて大きくなっている居心地の良いショップというのは、
隅々まで、人を大切にする思いが行き渡っているんだなと。
考えてみれば、作り手がいなければお店は成り立たないわけで、
面白い商品が仕入れられるかもしれない、そのどんなチャンスでも逃さず、
きちんと対応する姿勢が、結果お店を大きくしていくんですね。
翻って、作り手である僕の方も、同じ事が言える訳で。
自分の作ったものが売れに売れていたら、それはお店のおかげである。
お互いそうやって認めあう事で、
良い方向にスパイラルするんでしょうね。
いかんせん小さいプロジェクトなもので、
製造から営業まで、ほとんど自分でやらなければいけません。
お店との付き合いともほとんどない状態から、
販路開拓していくことになりはや3年。
気づいてきたことがあります。
それはお客さんとして行っても「良いお店」は
バイヤーさんの対応も良い、ということ。
鼻くそみたいにあしらってくるイケイケのショップもありますが、
やはり伸びて大きくなっている居心地の良いショップというのは、
隅々まで、人を大切にする思いが行き渡っているんだなと。
考えてみれば、作り手がいなければお店は成り立たないわけで、
面白い商品が仕入れられるかもしれない、そのどんなチャンスでも逃さず、
きちんと対応する姿勢が、結果お店を大きくしていくんですね。
翻って、作り手である僕の方も、同じ事が言える訳で。
自分の作ったものが売れに売れていたら、それはお店のおかげである。
お互いそうやって認めあう事で、
良い方向にスパイラルするんでしょうね。
2009-01-08
初詣
iPhone用のポータルアプリもあることだし、
ブログはblogger、写真はpicasa、メモも使って…と、Googleものでまとめてみることにした。
なんとなく清々しい気分なのは何ででしょうね。
ブログはblogger、写真はpicasa、メモも使って…と、Googleものでまとめてみることにした。
なんとなく清々しい気分なのは何ででしょうね。
ありがたやありがたや
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