先日、東京おもちゃショーに行ってきました。
今に始まったことではありませんが、
日本のおもちゃ市場って、なんだか変な感じだなあと
あらためて感じました。
子供が少なくなり、おもちゃメーカーは
おもちゃのサイクルを早くすることに躍起になっている気がします。
「長く使えるおもちゃ」というのは、聞こえは良いですが、
メーカーにとっては実は命取り。
そういうものを自分のところで作って売る、というのは
自分の首を絞めることになってしまうわけです。
そこで、むしろ刺激は強いがすぐ飽きることが要求されます。
テレビと連動して、前のものを古く思わせる。また買わせる。
そうしてできたおもちゃ達は、全部とはいいませんが、「学び」があるおもちゃとはとても言えないものが多いように思います。
「科学と学習」みたいなものが熱かったぼくらの子供時代とは
なんだかとても違います。
今市場に溢れるおもちゃ達で育った子供たちは、将来どんなことになるんでしょうかね。
ちなみに、現在海外では「科学おもちゃ」がブームのようですよ。
「遅れてるねー海外は。日本では20年前に終わったよ」で話を終わらせるのは簡単ですが、これをどうチャンスに変えていくか、という視点が大事ですな。
2010-07-13
政治と気分
参議院選挙が終わりましたね。
世間ではしきりに「与党過半数割れ!」だの「またねじれた!」だのと報道され、選挙前には「与党が過半数をとれるかどうかが争点」なんて煽っていましたが、
実はそんなことは政党が気にすれば良いことで、僕らが気にするべきなのは「で、生活がそれでどう変わるのか」てことのはずです。
そういう「コンセプト」が不透明な政党も悪いんでしょうが、ぼくらもあまりに「他人事」として、遊びのように、面白おかしく選挙を見るくせがついてしまっているような気がしてなりません。
そういううわべだけの気分、政党の視点で見てしまう(でも自分はまったく傷つかない)おもしろおかしさ。
そういう「気分」は、テレビなんかの影響で簡単に操作出来てしまう気がします。
だからこそ、政治家が発言に気を使う。揚げ足をとる。踏み込んだことは言わない。
で、めぐりめぐって、国民に政治のコンセプトが全く伝わらない。
なんだか、こんなことで良いんでしょうかね。
世間ではしきりに「与党過半数割れ!」だの「またねじれた!」だのと報道され、選挙前には「与党が過半数をとれるかどうかが争点」なんて煽っていましたが、
実はそんなことは政党が気にすれば良いことで、僕らが気にするべきなのは「で、生活がそれでどう変わるのか」てことのはずです。
そういう「コンセプト」が不透明な政党も悪いんでしょうが、ぼくらもあまりに「他人事」として、遊びのように、面白おかしく選挙を見るくせがついてしまっているような気がしてなりません。
そういううわべだけの気分、政党の視点で見てしまう(でも自分はまったく傷つかない)おもしろおかしさ。
そういう「気分」は、テレビなんかの影響で簡単に操作出来てしまう気がします。
だからこそ、政治家が発言に気を使う。揚げ足をとる。踏み込んだことは言わない。
で、めぐりめぐって、国民に政治のコンセプトが全く伝わらない。
なんだか、こんなことで良いんでしょうかね。
2010-07-03
変な梅雨
2010-06-28
人んちの市場
芸術というのはどうも、見ればみるほど分からなくなっていきますな。
値段(しかも高い)がついている立派な「商品」でありながら、
それが何なのか全然わからないってのは、
いったいなんなんでしょうか。
もちろん、そんなに簡単に答えが出てしまっても、それはやはり芸術とはいえないんでしょうね。
見た瞬間に用途目的がぱっとわかるようなモノ。たとえば生活用品なんかは、それはもしかすると「芸術的」かもしれないが、決して「芸術作品」ではない。少なくともそのつもりで作ってはいない。
じゃあ、そのつもりで作っている芸術作品というのは、どこに価値があってあの値段がついているのか?
値段がついているということは、もちろん売るつもりなのは間違いないわけですよね。でもなんとも形容し難い作品に、その「商品説明」があるわけでもなく、で、詩的なタイトルと共にしれっと「¥300,000」とか書いてあるんですよ。
こ、これでこれって売れるんですか?
まあ、僕らはそもそも買う気もなく行っていますし、ギャラリーの方もターゲットとして見てないのかもしれませんが。
ともかく、だれもいないギャラリーで作品をじっと見てても、何もわかりません。
でも、例えば友だちがやってる展覧会なんかで、なんでその作品を作ったか、という話を聞くと、ものすごく面白かったりします。
僕らモノをつくるデザイナーは、誰も説明してくれるひとがいなくても良いように、パッケージに工夫をこらし、ポップをたて、なんとか心にとめてもらう努力をします。
芸術にも、なんかそういう糸口が必要だと思うんですけどねえ。
それが簡単にみつからないから価値があるのであって、僕がそれを見つけられていないだけだとしたら、もうグウの音も出ませんが・・
なんとなく「人んちの市場」が気になる昨今です。
値段(しかも高い)がついている立派な「商品」でありながら、
それが何なのか全然わからないってのは、
いったいなんなんでしょうか。
もちろん、そんなに簡単に答えが出てしまっても、それはやはり芸術とはいえないんでしょうね。
見た瞬間に用途目的がぱっとわかるようなモノ。たとえば生活用品なんかは、それはもしかすると「芸術的」かもしれないが、決して「芸術作品」ではない。少なくともそのつもりで作ってはいない。
じゃあ、そのつもりで作っている芸術作品というのは、どこに価値があってあの値段がついているのか?
値段がついているということは、もちろん売るつもりなのは間違いないわけですよね。でもなんとも形容し難い作品に、その「商品説明」があるわけでもなく、で、詩的なタイトルと共にしれっと「¥300,000」とか書いてあるんですよ。
こ、これでこれって売れるんですか?
まあ、僕らはそもそも買う気もなく行っていますし、ギャラリーの方もターゲットとして見てないのかもしれませんが。
ともかく、だれもいないギャラリーで作品をじっと見てても、何もわかりません。
でも、例えば友だちがやってる展覧会なんかで、なんでその作品を作ったか、という話を聞くと、ものすごく面白かったりします。
僕らモノをつくるデザイナーは、誰も説明してくれるひとがいなくても良いように、パッケージに工夫をこらし、ポップをたて、なんとか心にとめてもらう努力をします。
芸術にも、なんかそういう糸口が必要だと思うんですけどねえ。
それが簡単にみつからないから価値があるのであって、僕がそれを見つけられていないだけだとしたら、もうグウの音も出ませんが・・
なんとなく「人んちの市場」が気になる昨今です。
2010-06-22
新しく作るということ

仕事をしながら、FMをよく聴いてるんですが、
なんだか最近は空前のカバーブームですな。
「良いものは、ずっと良い」
モノだけでなく、歌にもそれは当てはまるはずで、それはそれですごく良いことだとは思うのですが、「新しいモノを作る」ことを生業にしている身としては、なかなかこう、手放しで喜ぶことも出来ないところ。
というのも、音楽のように「カバー」という形ではありませんが、デザイン世界でも近年そういう動き、つまり「新しいモノを作らない」「新しい素材を使わない」という動きが活発になっています。
ナガオカケンメイさんの「D&Department」しかり、新しいかたちのユーズドショップ「pass the baton」しかり。
見渡してみれば、たしかにモノはあふれにあふれ、われわれデザイナーにとって一番恐ろしい「新しいモノなんていらないんじゃないか?」なんてことをも思わせる、現代日本。
新しいモノを作るのでなく、今あるモノをどう「編集」するか。モノを提供する側の軸が、明らかにそちらにシフトしてきています。
そんな中、われわれはどうしていったら良いのか。
ひとつは、「編集者」として生まれ変わること。
もうひとつ、不器用にモノを作ることしか出来ない私の場合はこちらですが、「世界に市場を求める」こと。
情報網、交通網の発達で、今や世界は小さくなりました。
日本というひとつの国も、世界規模でみたらいち地方のようなもの。
だったら小さい小さい地方の中だけで経済を回してるだけじゃなくて、その地方の特産物をどんどん「町」に売りにいかないと!
特に日本の特産品である「カワイイ」ものなんてのは、僕の得意分野ですからね〜!
ということで、
うーん。とりあえず英語ですな…
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