とある絵本を読んでいてふいに至った考え。
その絵本は、イギリスの女の人が書いたものを、日本語訳したもの。
そういうのはよくある感じですが、
それに違和感を感じない自分に、ふと違和感を感じたんです。
それはライオンの男の子が、学校に行く話。
外国の動物が出てきて、全部外国の子供達で、外国先生の教育があって・・
そんな話なのに、全くといっていいほど違和感を感じないのは何なのか?
そうか!これこそがグローバル化ということなのかと。
今や教育や生活などの文化は、特に先進国と称する国の間では
大枠の部分はほとんど共通化しているんですな。
(細かいやり方の差異はまだあるでしょうが)
なので、もう言葉のカベを乗り越えさえすれば、
いろいろなものを、国を超えて流通できる状態にあるんですよ。
この本だって、翻訳しただけでイギリス→日本って
売れてしまっているわけです。
江戸時代だったら、例え翻訳されてたとしても
「この服はなんだ?」
「この食べ物はなんだ?」
「何故先生が女性なんだ?」
いろいろなエキゾチックな部分ばかりにとらわれて、話自体に
辿り着くのが遠くなるばかりか、
教育文化も違うので、話の意味もまともに分からなかったハズ。
それが今では、周りを見渡せば、
アメリカが作った携帯iPhoneだって世界中に行き渡っているし、
自動車だって、家具だって、家電だって、どんどん海を渡っている。
食料だって輸入によってまかなわれている。
なので、この話自体はそんなに目新しいことではなくて、
何を今更、と言われそうなことなんです。
でも、そうじゃなくて、
そういう、ちょっと特別っぽいプロダクトじゃないところの話。
もうほんと、自分が携わっているもの、作っているものにだって、
ちょっとやり方を変えるだけで、
ものすごく大きく市場が開けてくるんじゃないかと!
たとえば何気ないおばちゃんの生活の知恵とか、
我が子のために開発した何々、とかね。
文化が共通してきてるということは、
「困りごと」も共通してきてるハズ。
ものすご〜くマニアックなことでも、
日本国内を見たら商売になり得ないことが、
世界規模でみたら十分商売になるかもしれない、とかとか。
そういう可能性がありながら、日本市場だけに閉じこもるのは
本当にもったいないなと。
不況だ何だと言われる時代だからこそ、
視点を変えてみるというのは本当に大事だと思います。
はい。もちろん自分への戒めでもあるわけです。
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